圓融寺について(ありし日の圓融寺)
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圓融寺環境
大正の頃まで圓融寺を取囲む田園環境で、江戸名所図会の挿絵と対照してみられたい。
大門
この門は原邦造氏の好意により、品川御殿山の同邸正門を移築せるもの、築造は天保四年元播磨国美囊群三木和田の某寺の山門で、工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清が作ったという銘がある。 明治三十年三月先代六郎氏が還暦記念に移し、数度の火難にも焼失を免れた、今回圓融寺大門となり、”山門三遷”して所を得たと言われる。 江戸期の建築としては最秀であり、現在東京に於ても五指に屈する名門の一つである。
釈迦堂
唐様単層、入母屋造、桁三間、室町時代初期の建築とされる。(重要文化財 国宝) 今回の修理によって茅葺が銅板葺に変わった、これはしばらく研究問題になっていたが、当初をコケラ葺と考証して、 銅板によってその形を出した、その他四隅の支え柱と、江戸時代に附加された向拝が除かれ、下面の蔀戸も腰唐戸に変わった、 懸魚も此期の代表比飛鱓安国寺所蔵のものにならって小さく形も整えられた。正面の石段が設けられ、又周囲の人止柵も存否 が問題になったが、結局美観を損しない程度に於て現在の低い大谷石のものが施された。二十四年の秋、主体として修理委員会、 協賛団体として復興協賛会が設けられ、官庁民の約五百万円費用を投じて修理を完了した。
仁王門
本堂の前にある、四間に三間、当初は足利時代の建築もよるものであるが、徳川時代に、殆んど改造に等しい修理が加えられたため甚しく原形を損した。
鐘楼堂
梵鐘は寛永二十年、飯田善兵衛宗次の鋳造になり製作優秀にて昭和十八年十月、重要美術品に指定さる、堂内に最近本堂修理の際発見した妙光山の旧山号額を掲げる。
金龍地蔵尊、妙澄律師夢告
除厄、招福の功徳ありとて近頃西大崎行元寺(芸術員会員、豊道春海住する寺)より移した。
日源聖人の法塔
釈迦堂の横、高さ一丈余の五輪石層、寛永十三年八月十世日瑞、日宗開基日源聖人供養のために建立したもの。
東門
昭和二十六年の秋、改修されたもの。
節分豆まき
昭和二十九年より始められ年々盛大になりつつある。