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【法話】「アンラーン」という生き方

「アンラーン」(unlearn)という言葉を最近よく耳にする。

「アン」は否定を表す語で、「ラーン」は学ぶという意味である。「脱学習」と訳されることが多いが、学習をやめるという意味ではない。

 

もともとは昨年亡くなられた哲学者・鶴見俊輔が、新聞のある対談で自分の若い頃のエピソードを紹介したことがきっかけで知られるようになったようだ。

それによると、当時十八歳だった鶴見氏がアメリカのハーバード大学に単身留学中、夏休みを利用してニューヨークの図書館で本の運搬のアルバイトをしていると、偶然にもヘレン・ケラーがやってきて会話をしたことがあったそうだ。

そして鶴見氏が大学生であることを知るとヘレン・ケラーは、「私は大学でたくさんのことを学んだが、その後たくさん学びほぐさなければならなかった」と言ったという。

鶴見氏はここで「アンラーン」を「学びほぐす」と訳し、さらにそれを、型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編み直すようなものだと譬えている。

 

学ぶというのは確かによいことに違いない。

分からなかったことが分かるようになり、出来なかったことが出来るようになるのは快感だ。

しかし、そうやって知らず知らずのうちに物事の価値観がかたまっていき、「こうすべきだ」「こうあってはならない」と自分の思考の枠にとらわれて偏見を強く持ってしまったり、本当は目の前に自由に歩ける大地が広がっているのに、人生に一本道をまっすぐ引いて、かえって自分の生き方を窮屈にしてしまうこともある。

これまで得てきた知識や経験を一度リセットし、ゼロベースの視点で改めて見直すと、さらに新しい風景が広がるかもしれない。

 

では無我になったその先はどうなるのか。

修行不足の私には到底想像もつかぬが、恐らくそれがゴールではないように思う。

自我をアンラーンしきった後は、再び新たな自我を作り上げていくのではないだろうか。

本来この世界の何もが無我ならば、学びなど何の意味もないはずだが、それでも人間というのは何かを学ばずにはいられない動物なのだ。

 

無我の境地に至れば、人生のあらゆる悩み苦しみも一瞬にして解決するかもしれない。

しかし、無我になって生きるというのは、まるで白紙の本を読むか真っ白のスクリーンを眺めているようなもので、こうして自我があるおかげで、あれこれ学ぶことができるというのは、なんと有難いことかと逆に思うのである。

もっとも、いくら学んだとしても、私たちは決して完璧になれないのも事実だ。

無我という真理を前にすれば、自我は思考の産物であり幻のようなものだ。

学びを積み重ねて分かったつもり、賢くなったつもりになっているだけなのである。

所詮、学ぶというのは勘違いの集積で、ボタンの掛け違いだったり、糸がほつれたりして、自分の体に完璧に合うセーターを着ることは永遠にできない。完璧になるには無我であるしかないのだ。

 

しかしそれは決して悲観すべきことではない。

考えようによっては、無我であるからこそ、白板に何度も文字を書いては消すがごとく、学んでは学びほぐし、人生の道を何度でも引き直すことができるはずである。

詩人・茨木のり子があるエッセイの中で紹介していたが、ロシアには「百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ」という諺があるらしい。そのぐらいの気持ちで生きたらどうだろうか。

そんな彼女の詩の中で「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」(『自分の感受性くらい』より)という強烈な一句があるが、これは何度学んでも完璧になれない宿命をもつ愚かな人間に対し、それでも感受性だけは忘れるなとエールを送っているように感じてならない。

 

何か変だぞ、どこか窮屈だ、人生このままでいいのだろうか・・・と、不安に駆られながらも、心の奥底から沸き起こる感受性に耳を貸さず、ごまかしごまかし生きている人がいかに多いことか。

そういう私もご多分に漏れずその一人だ。

 

ステーブン・ジョブズがスタンフォード大学で行った有名な演説の中でこう言っていたのも記憶に新しい。

 

もし今日が人生最後の日だったとしたら、今日しようとしていることを私はしたいだろうか?

 

私たちも自分自身に問いかけてみるといい。

いま最優先でやっていることは、自分の人生にとって本当に最優先の事項なのだろうか。

少しでも疑問を感じたら、アンラーンするサインかもしれない。

 

 

【『天台ブックレット』第83号掲載】

【不許無断転載】

 

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